教師による犯罪 教育現場から鬼畜教師を放逐する

教員などによる不祥事、事件を検証考察しています。

なぜ教員は子どもを差別するのか。

   学級担任の話に戻りますが,優秀な教員は学級経営も優れています。教科指導はもとより,学級経営がうまくいっているクラスは学芸行事でも運動会でも,一見してわかります。よくクラスの和がある,なんて言いますね。

    蛇足ですが学級経営がうまい教員は学校経営も達者であるといえます。

    そもそも,公立の地域で同じ年頃の子どもを何十人も一集団で過ごさせるのですから,どんな集団なのか推して知る由です。教員はよく笑顔でクラスを管理します。

    さて,管理というものを任せられますと人間は集団の中に序列を見出します。これは,やや高等な生き物であれば同様な心理が働くそうです。管理者は,良い悪いは別として集団の中で優劣や見た目の印象で内包者を区別するのです。

    その中で,より統制の利く者,その信奉者,随行者を順次整えて管理を実施していきます。

    管理者であれ,その同列の者であれ,集団の統制にマイナス要素がないか心配になるのは無理からぬことですね。

    それは,自然と外向きの笑顔より内心の不安となって管理者の気に掛けることとなります。管理が順調な時は,心の奥にしまっておいたとしても不都合な事態が起こり管理の不備を指摘されそうなことともなれば,途端にマイナス要素や自分がマイナスだと考えていた要素をいじりだします。また管理が下手な教員は,常にマイナス要素に気を取られていることでしょう。

    実は,こういった教員生活を何年も続けていくことが,まるで匂いで子どもを嗅ぎ分けるがごとく管理運営する教員を生み出すのです。嗅ぎ分けに慣れた優秀な教員であれば,嗅ぎ分けても更に公平で平等に子どもに接することができるでしょう。

    自分に懐かない匂いを感じ取っても,その子を不当に扱わない姿勢は職責の基本中の基本であり最低限の職業倫理だと思います。これができて,はじめて通常の教員といえるのではないでしょうか。